ある設計者のつぶやき-ふと街を歩いていると
ベテラン設計者から感じたモノつくりに身を置く人間としての心構えについてご紹介します。
ベテラン設計者が感じた心構え
筆者が、ある大手で長年設計をしてきたベテランの設計者とミーティングしていた時のことをふと思い出しました。ある程度、打ち合わせが終わり雑談に入った時にその設計者がふとつぶやいたのです。
「街を歩いていると設計者として自信を無くすんですよ~」
私は腑に落ちずわけを尋ねると、その設計者はこう答えました。
「普段、街中を歩いていると様々なものを目にします。例えばガードレール。例えば三輪車。例えば自動ドア。それらは、普段からそこで利用され、そこで活躍し続けている。そして、不便なくその存在意義を全うしている。一体、誰がこれらを開発し設計したのか。実に興味深いし、その反面私にここまで実用的な設計ができたのであろうか。」
要するに、巷にあふれるあらゆるモノは、その存在意義と利用者の使用目的においてしっかり使命を果たすカタチを有しており、それが設計者として素晴らしく見えるのだそうです。
事実、ガードレール一つとっても様々な強度試験をクリアし、形状やドライバーからの視認性、歩行者の保護の観点や設置するスペースの条件、耐久性や製品寿命と製造コストなどあらゆる項目でシビアな条件のもとに設計されています。それでも、公共設備として認可を得ることは困難なアイテムなのです。ある意味で、そこに着眼できること自体さすがベテラン設計者ならではの視点ではあると思いますが、我々モノつくりに身を置く人間としても、実は同じ心構えが必要なのではと感じた出来事でした。
私たちは、何気なく日常にあるあらゆるモノを道具として利用しています。それらは、発案者・開発企画スタッフ・設計者・検証評価スタッフ・製造加工スタッフ・品質管理スタッフ・出荷配送などのデリバリースタッフ・そして営業やサービススタッフの方々の「真摯な姿勢」によって作り上げられた完成体として存在しているのです。当然、世の中には粗悪品も存在し、消費者が被害を被ることもしばしばあり、残念ながら全てのモノつくりが真面目であるとは言えない実情があります。昨今、データ改竄等で社会問題になった事件は、その模範となるべきリーディングカンパニーにおいても、そのモラルの崩壊があったことを物語るのです。
この設計者のいう「自身をなくすんです」という言葉は、言い換えれば「何回成功した製品を市場に出す実績を得ても、いつも初めてモノつくりをする緊張感を忘れるな」という原点回帰の姿勢を別表現したものではないかと考えています。
私たちの作ったモノを手にする消費者の方々が「買って良かった」と思えることを理想にすることが大切な心構えと言えます。
今日も街中にはいつものように活躍しているモノがあります。