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製品開発ポイント-道具を考える

  1. 新製品
  2. 道具

道具の「より便利」「より安全」「より安い」について説明します。

1.道具の進化

道具というものは人類を人類たらしめるものです。人類は「両手」を触手として利用する身体構造を手に入れ、それにより「加工」をすることを可能にしました。

このことが「道具」の確立につながっていきました。道具を手にした人類は、作業性の向上を目的として「道具」を進化させていったのです。そして、その道具の進化そのものが技術進歩となり、技術進歩がさらにより道具を発展進化させる起因につながっていきます。そしてまさに人類は「道具」により地球上の生物において無敵の存在となっていったのです。

道具の進化を体系的にまとめたものに「TRIZの進化パターン」というものがあります。TRIZとは旧ソビエトで生まれた開発発想手法です。
このTRIZ手法では、世の中の様々な機能や手段はその目的において進化をしており、その進化を整理体系化して「進化パターン」として表しています。その進化パターンを見ると「道具」としての進化の有り様も見えるのです。江戸時代には竹串の先を毛羽立てたものを使って歯を磨いていました。いわゆる「歯ブラシ」です。これが、樹脂ブラシを先端に植毛した歯ブラシが登場し、今では電動歯ブラシへと進化していくのです。

道具の機能において「使いやすさ」「機能向上」「コストダウン」などを工夫改良し“進化”として変化していったのです。

道具の進化を考える時、進化する方向性があります。それは「より便利」「より安全」「より安い」を求める方向性です。そこで、道具というものをさらに深く考えてみましょう。

2.道具に満ち溢れる現代

現代においての人類は、その道具の持つ意義をかつての道具とは違う位置づけにしています。確実に200年前の人類が使用していた道具と現代とでは道具の持つ存在意義は変わってきているのです。

かつての道具がその使用する個人の範疇で完結する物理的道具であったのとは別に、現代の道具は環境要素を道具の一環として構築し、それを個と全体とを連動させる社会性を道具に持たせています。いわゆる「デジタル化」「グローバル化」の流れと道具の進化はリンクし、その意義を深めていっています。

人類のこれからの進化(退化??)は、これからの道具にかかっているのではないでしょうか?

3.道具に求めてはならないもの

これから世界中で進んでいく新製品開発により、世の中にはどんな新しい道具が誕生していくのでしょうか?
筆者はそれを思うときに「道具に求めてはならないもの」として以下の2点をあげるのです。

そもそも、道具とはそれを利用する人いわゆる「道具を使う人」が存在して初めて価値を伴います。使う人の存在しない道具は存在価値がないのです。その「使う人」に焦点を当てた時に重要な点があります。それは「使い込みの領域」です。

「包丁」を例に考えてみましょう。

すし職人さんにとって包丁とはまさに重要な商売道具。その包丁に期待する機能とは、より食材を綺麗に且つ美味しく調理するための料理道具機能であり、それは包丁にとって「よい切れ味」という機能です。
しかし、あるベテラン寿司職人が使用する包丁を新人職人に使用させたらベテラン職人と同じように調理できるでしょうか?
答えはNOです
ベテラン職人が包丁を使うとき、言わば長年付き合ってきた相棒としての包丁とともに調理を行っており、このいつもの包丁でなければいけないのです。
この包丁の切れ味などの能力を最大限に引き出す使い方を身につけており、これが「包丁マスター」としてのベテラン職人の領域を生んでいるのでしょう。
ここで、もし新人職人でもすぐに切れ味よく切れる包丁を開発したとします。すると、おそらくベテラン職人の持つ道具の使い込み領域を失うこととなり、ベテラン職人の領域に応える包丁としての道具の価値を持たなくなるのではなのでしょうか?
つまり、道具に【使用習熟価値を損なう利便性を求めない】ことがそのポイントになります。

では、「自動運転の自動車」はどうなるでしょうか?

「自動車」とは人や物を移動させる道具です。移動するという価値が主体であり、その自動車を運転する技術力が価値ではありません。
そもそも、道具としての自動車とは、複雑な運転技術とドライビング習熟度を要さないと動かせないというデメリットをもって生まれてきた道具なのです。
しかし、運転を楽しみたいという娯楽としての自動車は別です。道具の目的から見て、娯楽目的の自動車と移動用の道具としての自動車は、もはや別な道具なのです。

先ほどの包丁に話を戻と、包丁の切れ味が良くなければ良い寿司調理ができないという機能のなか、この「切れ味」というのは包丁にとって極めて重要な能力です。
しかし、切れ味の良い包丁であるほど殺傷能力を持ちます。もし、犯罪に利用された場合は、重大な事件を生じさせる能力があるのです。しかし、その防止のために包丁の切れ味を悪くするという考え方は本末転倒です。

【道具に使用者の善悪概念を求めない】というのがもう一つのポイントなのです。

道具進化と技術革新は二人三脚の歩みのため、技術においても善悪両方の利用が可能です。
しかし、ひとたび道具としての形を持つとその道具は「使用する人」と存在意義と運命をともにします。
核エネルギーの活用は強力な生活エネルギーを得ることが可能ですが、核兵器へと形を有して生まれてしまえば、もはやその道具としての存在意義は使用する人に委ねられるのであり、使用する人の善悪をいくらその道具に求めても何も得られないのです。